CLOSE YOUR EYES 長渕剛 
ヨロコンデぶっち ヨロコンデぶっち
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 Published On May 5, 2020

長渕剛さんの歌に当時の写真や映像です。
国を護るためにと飛び立った青年たちのことを忘れたくない。

大正9年生まれの親父は 乙種合格で 赤紙が来たのは戦争の末期。それでも馬の世話をする兵隊として宮崎県にいたらしい。アメリカが沖縄に上陸したあとは 宮崎県の海岸に穴を掘って 爆弾を持ってアメリカ兵を待ってたらしい。これくらいのことしか覚えていない。戦後教育を受けた自分は親父が話す体験談を「耳にタコ」と拒絶したからだ。親父は16年前に亡くなった。今 なぜもっと話を聴こうとしなかったかが悔やまれる。東京の現代座に入団して 「星と波と風と」というお芝居で ミクロネシアで死んだ上等兵の役をもらった時、大阪の親父に電話した。「当時の話をきかせてくれ」「あらたまって話せるもんやない」そんな電話での会話が想い出される。「親父、部隊の名前は?宮崎県のどこやったん?馬は何頭ぐらいいたん?なんで馬なん?誰が乗る馬んなん?どんな飯やったん?どんな兵舎やったん?戦友は?海岸に穴を掘ってたってどれくらいの穴?だれがほったん?1日何交代やったん?穴の中で飯はどうしてたん?トイレはどうしてたん?・・・
」今ならききたいことがたくさんあるのに そんなことを想う。
 縁あって2016年から 原爆を落とされた広島の3年後の「父と暮せば」(井上ひさし作)を前橋でやらせてもらうようになって また親父にきけなかったことを思い知る。だからいろいろ調べ考える。前橋市民ミュージカル「灰になった町」に参加した時もそうだ。そして そのとき群馬町に飛行場を作って練習していたことを知る。特攻機が知覧に向かったことを知る。
2018年「ホタル帰ってこい」の朗読劇をやらせてもらった。知覧の食堂の小母ちゃんと特攻兵の交流。「ホタル帰る」という本をもとに構成したものだった。
いろいろ考える。自分という世代が語り継がなければいけないことを。うまく語り継げなくても 自分の想いはこんなかたちでアップして残すことができる時代となったことに意味があるのだろう。たくさんの戦争に関しての動画をここでみさせてもらった。
「親父の体験をしっかりと聞いて 本にでもまとめてあげれなくて ほんまにごめんな。でも年取ってきた自分がやれることを やってみるからな」

ヨロコンデぶっち こと 岩渕健二(イワブチケンジ)




#特攻隊 #知覧 #ヨロコンデぶっち

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